top of page

プロミュージシャンへの階段

  • 執筆者の写真: Koki Ohno
    Koki Ohno
  • 6 日前
  • 読了時間: 1分


高校を卒業後、映像関係の進学をするか音楽の道を進むかの分岐に差し掛かりました。


当時は受験戦争と揶揄されるほどの時代、「日本にこだわる必要はない」と数日で留学を決めました。


アメリカ・シカゴ。極寒の地に降り立ち、大学1年生として入学するのですが、まずは言葉の壁を乗り越えるために大学併設の英語学校に入学しました。


韓国、中国をはじめアフリカ、ヨーロッパからの留学がたくさんいるクラスでまずは母国語を英語としない友達との英会話からスタート。


以心伝心のような阿吽の会話がなぜかアジア人には通じる瞬間がたくさんありました。


半年の英語クラス、日本人同士で固まっているグループもありましたが、何のためにアメリカまで行ったのか?を考えるとそこに混ざる意味はなかったので、早々に寮も飛び出しシカゴ北西部にアパートを借りて住むことに、そして練習三昧の日々がスタートします。


次は大学生としての授業などについて記憶を辿ってみます。


ree

 
 
 

コメント


bottom of page